卒業旅行記02_【パリ-エッフェル塔のスリ-】

びびりの俺らは海外に対する防犯対策だけは完璧だった。

電車の中に現れる妊婦のスリだとか、子供たちの集団スリだとか、ミサンガを巻きつけてお金を請求して来るやつだとか、日本人を見て「ヘイ、長友〜」と話しかけて来るイタリア人は危ないとか。

いつスリと出会っても良いように、パスポートは首からぶら下げ服の中に締まっていた。極力リュックでは外出しないようにしたが、今日のように観光した後すぐに空港に向かう日なんかは仕方ない。そんな日はリュックのチャックに南京錠をすれば問題ない。これで、スラれることはないのだ。

海くんの一悶着の後、地下鉄で電車に乗り、凱旋門の最寄りの駅で下車した。初観光地ということもあってたくさんの写真を撮った。地図で見る通り凱旋門を中心に放射線状に道路が延びている。行って辺りを見渡すと、よりここが世界の中心のように感じられた。

凱旋門から次は歩いてエッフェル塔に向う。

雨が降っていたせいもあったが、セーヌ川はとても汚かった。これではいくら恋人同士が愛を誓って鍵を落としたとしても、結婚する前に引き裂かれそうだと感じた。

エッフェル塔とは、パリにランドマークをつくったギュスターブ・エッフェルという設計者及ぶ建設者の名前である。はじめは、パリという芸術的な街に、このような鉄骨の塔が必要なのか。建設反対派の芸術家たちは猛反対し、連名で陳情書まで提出していたらしい。パリでエッフェル塔を見なくても良い場所はエッフェル塔のみだとし、「エッフェル塔が嫌いな奴はエッフェル塔に行け」ということわざまであるほどだ。

ただ、今やエッフェル塔はパリの立派な象徴だ。
最初は合わないと思っても、月日を追うごとになじんでくる。建築の中でもランドマークという存在は、反対されるくらいのがちょうど良いのかもしれない。

 

俺たちは汚いセーヌ川に架かるエッフェル塔の正面の橋を渡ったところで、パリの女性たちに話しかけられた。10代だろうか。小さい子もいた。

「いきなり来たか」そう田畑がつぶやく。
スリの情報収集は田畑の担当だった。エッフェル塔付近では、このような幼い女性が集団で行うスリがいるのは調査済みだった。

その中では少し年を取っているであろう女性が俺をターゲットにしたのか寄ってきた。もちろん言葉は通じないし、向こうも通じていないのは理解している。ひたすら話しかけながら、隙を伺っているのだろう。

20mくらい歩いたとき、俺のコートの内ポケットに手を入れてきた。

もちろんそこには何も入ってない。

「残念。そこに財布はありません」俺は日本語でそう言ってやった。

その女性は俺のコートの内ポケットに財布がないことを確認すると、舌打ちをして、海くんのほうに駆け寄った。

お金持ちの海くんは女好きでもある。

嬉しそうな顔。ただ海くんの財布も南京錠で閉じられたリュックの中だ。

俺らのビビりは、いきなり役に立った。

その後、パリのノートルダム大聖堂に行き、ポンピドゥーセンターに行き、見学時間の終了を迎えた。もっと廻りたかった。近くにこんなに重要な建築物がたくさんあるのに、時間は無情にも迫っていた。

パリだけだったらいつでも来れる。そう言い聞かせて、俺らは空港へと向かったのだった。

昨日も来たシャルル・ド・ゴール空港では、パリのお土産を漁る。ビビリの俺らは搭乗時間にも余裕を持っていた。

パリの滞在時間は数時間なのに、沢山のお土産を買った。最初だったということもあるが、パリに数時間しかいれなかったことが悔しかったから、その分お土産で満たすことにしたのだ。

そこで、友弘は小さな絵を買った。街もセーヌ川もとても綺麗な淡い色で塗られた水彩画だ。とても素敵な絵だったし、友弘は満足気だった。

その日のうちにその絵をなくすことも知らずに。