【プリズン・ブレイクと鉄筋コンクリート】

最近ふと思い立って、「プリズン・ブレイク」を観ようと思った。

初めて観る訳ではないし、別に何かから脱獄したくなった訳でもない。ただ無性に見たくなったのだ。

season1を観てハマってしまい、時間を掛けてseason4まで観た。某動画サイトで観たから、かなりのお金と時間がかかってしまったが、止めることなんてできなかった。

皆さんの中にも観たことがある方も多いのではないだろうか?

知っての通り、「プリズン・ブレイク」は名作中の名作であると思う。と言うより男のロマンを実現したドラマだ。絶対に出来ないからこそ、憧れてしまう。

頭脳明晰な頭で刑務所からの脱獄をしたり、仲間達と知恵を振り絞って巨大な金庫から大金を盗みだしたり。私もしたみたい。

まぁ絶対にそんな大それたこととは無縁なわけだが、なぜいきなり「プリズン・ブレイク」の話をし出したかと言うと、、、少し気になったことをドラマ内で見つけたからに他ならない。別にこのドラマを否定する訳でもない。

まず、知らない人のために「プリズン・ブレイク」の簡単なあらすじを書いてみる。

プリズン・ブレイク」とは・・・・・・
アメリカ制作、世界各国で放映されているサスペンスドラマである。

頭脳明晰で【建築士】の主人公、マイケル・スコフィールドは、無実の罪で収監され、死刑判決を受けた兄を刑務所から脱獄させる計画を実行するというものだ。緻密な計画を備え、銀行強盗をすることで自らも刑務所に収監され、兄弟揃っての脱獄を図るのだ。

マイケル自身もその刑務所の改修工事に建築士として関わっており、その刑務所内の図面や更には様々な脱獄計画や脱獄後の計画等、様々な情報を自身の体に刺青として入れていた。なんて壮大で凄いドラマなのだろう。

そんなドラマ内のワンシーンとして、気になったのは、season1で独房から脱出後、コンクリートの壁を破壊するシーンだ。

コンクリートの壁の計算された位置に孔を開け、抗張力を減らすことで、少ない力でコンクリートを破壊し、脱出を図るというものだ。

私は構造を専門にしているわけではないし、もしかしたらできるのかもしれないので敢えて、可能かどうかについては言及しないことにする。

では何が気になったのか。それは・・・・・・

「無筋コンクリートかよ」と言うことだ。

通常コンクリートという建築部材は、圧縮力には強いが、引っ張り力に対してはとても弱い。だからそれを補うためにコンクリートの中には引っ張り力の強い【鉄筋】が無数に張り巡らされている。

日本で言う、コンクリートとは、まず間違いなく鉄筋コンクリートのことであり、構造体としての強度の大小によって違いはあるものの、コンクリートの中には鉄筋がある。

だから、通常の「鉄筋コンクリート」の壁は、例えコンクリートを破壊できたとしても、鉄筋が無数に通っているため、必ず引っかかる。脱出することは不可能だ。

まぁこれは日本の建築基準なので、アメリカでは違うのかもしれない。

とにかく言えることは、日本の刑務所では、コンクリート破壊できたとしても、脱獄は不可能とうことだ。

無筋コンクリートはありえない。

【建材とクリスマスツリー】

クリスマスツリーはなんの木だろうか。そう聞いて、【もみの木】であると答えられる人も多いのでないだろうか。

ただ、クリスマスツリーの定義について調べてみると、「クリスマスのために飾り付けられた若木」とある。つまりクリスマスツリーは【もみの木】でなければならないという決まりはない。むしろ現在多く流通しているように、プラスチック製の木を作り、オーナメントで飾り付けられたものもクリスマスツリーと言えるのだ。

ではなぜクリスマスツリーは一般的に【もみの木】と言われているのか。

クリスマス・キャロルの【もみの木】からもわかるようにヨーロッパではある種伝統的にクリスマスツリーにはヨーロッパモミが使用されて来た。それに習う形で日本でも【もみの木】が一般化している。伝統的以外に【もみの木】である理由としてあげるのであれば、クリスマスは冬にあるため、重要なのは常緑樹であるということだ。冬に葉がない木、つまりは落葉樹では意味がなく、冬でも葉を枯らさない常緑樹にすることでクリスマスツリーは生命の象徴でなければならなかったされている。「クリスマスの起源」(O・クルマン著)内でも、【もみの木】はアダムとイブの舞台劇で使われる「知恵の樹」として扱われている。冬に葉が落ちてしまう落葉樹であるリンゴの木の代用として、常緑樹のもみの木が禁断の実を飾るには見栄えが良かったのだ。現在でもクリスマスツリーに赤いボールのオーナメントがあるのは、この影響が少なからずある。

更に針葉樹ということにも意味があるという。

もともとクリスマスツリーはキリスト教とは無関係であったが、ドイツの民を改宗させる試みの中で【樫の木】を【もみの木】にしたという歴史がある。樹木信仰が強かったキリスト教徒は、横から見ると三角形の葉を持つ【もみの木】を「三位一体」を表現していると教えたのだ。

現在でも主流である【もみの木】であるが、入手が困難となり、高価なこともあり、現在では入手が容易で安価、更には幼木のうちでは【もみの木】と区別がつかないと理由でドイツトウヒがなどもクリスマスツリーとして一般的化してきている。日本においても、【もみの木】ではなく、トドマツやエゾマツがクリスマスツリーとして使用されるケースも少なくない。

それでは、【もみの木】とはどんな木なのか。私は建築を専門にやっているので、【もみの木】の建材にフォーカスを当てて調べてみた。

【もみの木】の特徴として、「柔らかい、弱い、腐りやすい」というデメリットが挙げられる。また植林が難しく流通量が少ないという理由からも高価となり、建材としては軽視されているそうだ。

ただ、その柔らかいという特徴から、細かな製作がしやすいためバイオリンやギターなどの【楽器】に使用されることが多い。更には白く美しい色合いを持ち神聖な樹木であることからもかまぼこの板や絵馬、更には冠婚葬祭にも使われる例もある。

「柔らかい」ということは、傷がつきやすいということでもあるから、フローリングに使われている例は決して多くはないが、「柔らかい」ということは足触りが良いというメリットもある。

更には【もみの木】自体には消臭効果も期待できるそうだ。

樹木が発する香り物質をテルペンと呼ぶのだが、【もみ】はアルファピネンという良質なテルペンを多く含むそうだ。この物質は集中力の向上や血圧の低下によってリラックス効果を生み、「森林浴」が可能な樹木であると言われている。

更には、カビの繁殖や害虫の駆除に少なからず効果があるらしい。ゴキブリ対策にも効果を発揮するという。

このように【もみの木】を建材として使うにはメリットもある。建築と樹木においての関係は、このようなメリット、デメリットを比較し適材適所を見極めることである。

傷が付いたフローリングを【傷】と見るか、深みのある【味】と見るかは、施主次第であるが、【もみの木】のフローリングや天井材には可能性もある。もちろん構造材としていようすることはできないのだが。

このように気になった木を建材として調べた時に、建築家として材料と向き合うことができる。

聖なる夜にクリスマスツリーのうんちくを語るのも、建築学生にとって悪いことではない気もする。

【設計スキルの違い】

最近、某大手ゼネコンの設計部に努める友人に聞いた話がある。

「最近の学生の設計力が落ちている気がする」と言う内容だ。

どうやらそいつは、設計部の上司とある大学に会社説明に行ったとき、その上司からそう言う相談を持ちかけられたらしい。その友人もそう感じていたらしく、居酒屋で私まで話が回ってきたのだった。

否定はしなかった。

ただ、それがどういう設計力のことを指しているのか定かではないが、私は一概に【設計力】が落ちているとは思っていない。

私自身が感じていたのは「意匠系に進んだ学生の中で設計が出来る人と出来ない人の差が激しい」ということだ。

私自身も最近良くOB訪問を受ける機会が増えたわけだが、そう感じることも毎年のように多くなった。設計力が高い学生は昔と同等、いや昔よりも能力は高いのだが、設計力低い学生は意匠系に進んで大丈夫?と思う程のポートフォリオの完成度である場合も少なくない。

その理由がなんなのか私には見当もつかないが、正直私自身も同じような感想を持っていたので、instagramを始めこのnote でも建築学生に向けた情報提供を始めたのも事実だ。

だからこそ今回は【スキルの違い】をテーマにして書いてみようと思う。

今の話とは関係ないのだが、【差が激しい】と話すと、すぐゆとり世代のせいにしがる上司が多い。私自身もゆとり世代ど真ん中のため、その考えには否定的だから、まずはゆとり世代の能力について肯定してみよう。

ゆとり世代の特徴をあえて述べるのであれば、皆さんはどう答えるだろうか。

私は、「自由時間を多く与えられた世代」と答えたい。それは勉強面においてはマイナスな面はあるが、その他の分野においてはプラスの面も多いと思っている。

例えば、大谷翔平選手なんていうのは典型的な例なのかもしれない。

もともと途轍もない才能と類い稀ない努力があるのは事実だが、こうは考えられないだろうか。

ゆとり世代によって、その前の世代よりも【自分の為に使える時間が増えた】と。だから、好きなこと、例に沿うなら野球に打ち込める時間が増えたということだ。それであれば、最近のスポーツ選手が打出す世界的な功績にも納得がいく。

自分のために時間を多く使えたゆとり世代は、最先端な施設や技術と元々の能力、更に多くの時間で培ってきた努力量と相まった結果、今のスポーツ業界を支えているのではないだろうか。そう考えれば、必ずしもゆとり世代が悪いという話にはならない。

それに勉強やスポーツだけに限った話ではない。例えば、その自由時間をゲームに使ったとしよう。今の世の中様々な稼ぐ方法があるから、YouTubeのゲーム実況者として稼げているのであれば、それはゆとり世代の中でうまく適合できた例でもある。

話が飛躍したが、自由時間を何にも利用できなかったものは少ないのではないだろうか。勉強やスポーツに使った者もいれば、趣味や習い事に使った者もいる。ゆとり世代はきっと何か個人個人で周りとは違った力を身につけていると信じたい。

だから「1つの事柄」で比較した時、個人間の差を余計に感じてしまうのかもしれない。

また、海外を拠点に置くアトリエに勤めている友人にこういう話も聞いた。

なぜ、日本で働く建築業界の海外労働者のスキルが以上に高いのかということである。

何年か前、当時大阪府庁であった橋本氏も言っていたような気もするが、日本に当たり前にある「新卒採用」という概念は、一部の海外ではあまり見受けられないらしい。もちろんそれは1つの例ではある。

日本では大学を出て企業に就職する場合、入社試験(面接等)によって、自分をアピールすることで、面接官が当社に優秀かつ適合するかを判断する。しかし、一部の海外では大学を出てすぐに就職することは少ないという。大学を卒業してからはまず、自分が社会に出て役にたつと思うスキルを自分自身で身につけるそうだ。それは建築業界で言えば、3Dやスケッチの【スキル】、またはコンペ等に受賞するなどの功績を作ることであったりする。

そしていざ就職する場合には、「入社試験」ではなく「交渉」するのだそうだ。

「自分にはこういう【スキル】があるから、あなたたちの役に立てる」であったり、「だから給料はこのくらい欲しい」であったり、自分で交渉して、企業を決めるそうだ。

アベノミクスが本当に凄かったのは、株価の上昇や倒産率の減少ではなく、新卒採用者の雇用率を上昇させたことだ。就職氷河期に比べたら、ありえないくらいの数値だ。それを好景気かというかは別だが。

日本には「新卒採用」というシステムが当たり前のように成り立っている。それは良いことなのだが、「入社試験」と「交渉」とで入社した人材のスキルの差は埋められないのかもしれない。

ゆとり世代だからこそ、もっと自由に考えていくことが求められている。

海外の例を参考にするのであれば、その自由時間こそ【スキル】アップに利用するべきだ。

差が激しくなることが顕著に現れる今の世代だからこそ、他人はやっていない【努力】を怠ってはならないのだ。

しっかりと考えて、自慢できる【スキル】を何か身につけて欲しい。

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私自身がやった努力【毎日1建築】

【異質な建築としゃぶしゃぶ戦争】

あるしゃぶしゃぶ店同士で抗争が起きている。

発端は昨年の今頃だろうか、中目黒駅から徒歩3分程度の中目黒銀座付近にとても不思議な建築が建設された。工事中では確認できなかったが、足場が外れるとすぐにその異質さは際立ち始めた。

建築の自体は鉄骨造である。立面的に斜めに切り取られた打ちっ放しサインウォールは、デザイン的にも効いており、デザイナーが入ったのかな?と感じさせる。正面の躯体にはLアングルが取り付けられており、近日中に外装がつけられるだろうと予想した。

次の週。

その建築物の前を通りかかると、その異質な建築の正体が垣間見えた。

躯体のLアングルに取り付けられたのは、緑色の有孔折板だ。しかもサインウォールと合わせるように、斜めに切り取られている。

今は少し変わっているのかもしれないが、紫色の階段。

その緑と紫の組み合わせに建築設計の仕事をしている人なら誰しもが思っただろう。

「えっ。ダ○くない?」と。

有孔折板とは、文字どおり孔の空いた折板である。軽量ながら強度に優れており、主に目隠しとして設備機器の前に設置されることが多いのだが、デザインとして外観に取り付ける例も少なくない。

私自身もある設計で外装デザインとして、有孔折板を取り付けたこともある。それに注意してみると、有孔折板は至る所で使われているのに気づく。

中目黒駅でも使用されているし、有名なもので言えば、群馬県前橋市にある青木淳氏設計の某眼鏡店のオフィスが挙げられる。有孔折板を前面に巡らせ、白いカーテンを表現しているそうだ。とても綺麗な建築である。

ただ中目黒にあるこの建築の有孔折板は緑色だ。きっと白い有孔折板をわざわざ緑色に塗装しているのだろう。かっこ良いと思ってやったのか、単純に異質な建築を作りたくてやったのか。理由は不明である。

まぁ、その建築の外観デザインがしゃぶしゃぶ抗争の問題ではない。

緑色の有孔折板が取り付けられている建築にテナントとしてあるしゃぶしゃぶ屋さんがはいった。「しゃぶしゃぶ れたす」というお店だ。「新しいしゃぶしゃぶのかたち」をコンセプトに一人一つの鍋でたくさんの野菜が楽しめるランチからもやっているお店だ。

そして抗争はその異質な建築が出来てから、1年後の出来事である。

最近になって、その「しゃぶしゃぶ れたす」の4軒ほど隣に、そのお店そっくりのしゃぶしゃぶ専門店がオープンした。誰もが姉妹店だと思っただろう。

私も実際に訪れてみたが、お店の雰囲気が少し違うだけで、選べる鍋の種類や出てくる野菜の種類まで類似している。実際に何が違うかは、両店舗で出している品物を同時に頼んで比べてみないとわからないくらいだ。

始め「しゃぶしゃぶ れたす」は、ランチでも待つ人が出るくらいの人気店であったから、収益が見込めると判断して、同じ店舗をオープンしたのだとばかり思っていた。

しかし、しばらくして元祖である緑色の有孔折板のお店である「しゃぶしゃぶレタス」に行って見ると、入り口前の目立つところにある張紙があった。

      類似店にご注意を!

当社が運営するしゃぶしゃぶレタスと類似した店舗が近隣で確認されております。弊社とは一切関係ありませんので、店舗をご利用の際は十分にご注意いただきますようお願い申し上げます。

どういうことだ。こんなに酷似しているのに、違う店舗だというのか。にわかには信じられなかった。

どうやら、牛角や温野菜を運営しているレインズインターナショナルの創業者である西山氏は、コロワイドにレインズを売却し、レインズは連結子会社となった。その後、西山氏は株式会社ダイニングイノベーションを創業し、「しゃぶしゃぶ れたす」をスタートさせた。

そして出来たのが、緑色の有孔折板を持つ中目黒本店である。

そして、最近になりコロワイド側が、傘下企業経由で「しゃぶしゃぶ れたす」とは無関係の類似店舗を中目黒で、しかも驚くほどの近さにオープンさせたのだった。

「しゃぶしゃぶ れたす」は、上記のような張紙を貼り、公式サイトでも同じようなことを言っているので、面白く思っていないことは間違いないだろう。

何か因縁でもあるのだろうか?

このしゃぶしゃぶ抗争がどのように集結するのかは未だ不明であるが、一つ言っておきたいことがある。

本家「しゃぶしゃぶ れたす」の類似店である店舗の名称は「SHABU SHABU れたすれたす&れたす」である。

しゃぶしゃぶのレタスは確かに美味いが、そんなにレタスは食べられない。

卒業旅行記06_【バルセロナ-ガウディの原点-】

バルセロナ市内の主要駅であるサンツ駅から電車に乗り、建築家アントニオ・ガウディの原点といわれている場所に行く。電車で1時間の道のりだ。

サンツ駅で俺らは焦っていた。

友弘がまだ来ていない

卒業旅行の2日目に無くしたパリで購入した絵を、忘れ物センターなる場所に取りに行っていたからだ。俺らは出発の1時間前には駅についていたが、10前になっても来ていない。

結局、乗車5分前に来て、すでに勝ってあった電車のチケットを渡し、俺らはギリギリ間に合った。

忘れ物は見つからなかったそうだ。

この経験を得てお勧めしたいのは、「海外ではそれほど重要でない限り忘れ物は諦めろ」という当たり前のことだ。

モンセラット

電車で1時間かけて、ガウディ建築の原点であるモンセラットの最寄駅に到着すると、ロープウェイに乗り頂上へと向かう。

類を見ない丸っこい山並み。

モンセラットとはノコギリ山という意味らしいが、そんなギザギザしたものではない。ただこの特徴的な景色はカタルーニャの聖地とされ、バルセロナで最も「女性名」として使われているそうだ。

「これがガウディ建築の原点なのか」

確かにこの世の自然界の景色としては素晴らしいのだが、これがあのような有機的な建築の原点なのかと考えると、少しだけ納得がいかなかった。

芸術に関わらず、創作のイメージなんてものは、どこに転がっているかわからないものであるから、ガウディがこの景色を見て建築を作れたのもあり得ない話ではない。

頂上のロープウェイの駅から5分ほど歩いて、サンタ・マリア・モンセラット修道院に行く。

スペイン独立戦争の際、ナポレオン軍に破壊されたが、その後ゴシック建築ルネサンス建築の折衷様式として建築されたこの修道院は素晴らしかった。

黒マリアを拝んだ後、トレッキングコースを歩きゴバ洞窟まで歩く。途中の山道にはガウディが設計したと言われているモニュメント「キリスト教の復活」もあり、短い時間であったが堪能することができた。

午前中いっぱいをモンセラットに使い、午後13時頃の電車に乗りサンツ駅まで戻った。

途中、コロニアル・グエルを見過ごしたことに気づいたが、すでにサンツ駅近づいていたので諦めることにした。

皆さんは是非そうならないようにして方が良い。

ここでモンセラットを見学した今でこそガウディ模型を何点か。(カサ・ミラに展示してある)

 

モンセラットがガウディ建築の原点であることは、理解できただろうか。

バルセロナにあるサンツ駅には15時頃に到着し、周辺で少し遅めの昼食を取ることにした。

事前には何も調べてなかったので適当に探して入店した。

そこで俺は悩んだ末にリゾットを頼んだ。全員分の注文を終え、ガウディ建築について語り合った。卒業旅行に限らず、建築旅行をする場合は、その建築の良さや気づいた点を語り合える誰かと一緒に行くことをお勧めする。

自分では発見できないことがあるから。

その時薄っすらと、「チン」という音が聞こえた。友人たちは話に夢中だったので気づいていないようだった。

すぐにその音が気のせいでないことが確認できた。私が座っている席から厨房内が見えたからだ。お店の厨房にある5台もの電子レンジである。

全員分のメニューが届き、食べ始めた。

「このリゾットうまっ」そう田畑が言う。

更に海くんが言う。

「スペインに来て一番美味いわ」と。

海くんのその言葉を聞いて俺は決心した。

この料理が冷凍食品であることを。

卒業旅行記_05【バルセロナ-ジョーカーは誰?】

カンプ・ノウリオネル・メッシのユニフォームを購入し、写真を撮った後ガウディ建築の3つ目であるカサ・ミラを見学した。

ただ、それまでの見学に時間を掛けすぎてしまっていたので、1時間弱ぐらいの間に急いで見学する羽目になった。

これほどまでに異質で象徴的な集合住宅は世界中探してもないだろう。皆さんはもう少し時間に余裕を持って行くことをお勧めする。

バルセロナ1日目の夜は、ホテルに備え付けのキッチンで自炊することにした。15日間の旅だったから、無駄に出費することは避けたい。

近所のスーパーで買い物を済ませ、ホテルに戻ると、俺らは再び「ババ抜き」をした。晩御飯の担当を決めるためだ。1回勝負とし、下位2名が全員分の夕食を作る。

負けたのは、友弘と辻谷だ。どうやら辻谷は「ババ抜き」が弱いらしい。

バルセロナの2日目の午前中には、昨日行けなかったグエル邸の見学をした。カサ・ミラ同様に日本語の音声付きの案内が可能なのでとても助かった。

グエル邸の見学には、予想外に時間がかかり、あわよくばピカソ美術館もと考えていたが、難しかった。入場するのに1時間を要する美術館の見学を諦め、事前に見学の予約をしていたカタルーニャ音楽堂へ向かう。

午後は、カタルーニャ音楽堂カタルーニャ広場、そして最後にバルセロナパビリオンに行く予定だ。

カタルーニャ音楽堂では、見学の後、音楽隊のリハーサルに遭遇した。音楽に疎い俺らは、少しの感動を持って、カタルーニャ音楽堂を後にした。

ガウディ建築のカサ・バトリョを尻目にカタルーニャ広場でしばしの休憩をする。鳩がすごい。

スペインの著名な構造家出あるサンティアゴ・カラトラバのモンジュイックタワーを見た後、その日の15時前には、建築家ミース・ファンデルローエ設計のバルセロナ・パビリオンに向かった。

建物のプロポーションからタイルの目地まで、全てが整えられていて美しい。

バルセロナ・パビリオンを1時間掛けてゆっくり見学した後、エントラス前の池の脇にあるお土産を買うことにした。

各々お土産を選ぶ。ここに来た建築学生の誰もが買うであろうポストカードも手に入れた。

更に物色していると俺はある気になるものを見つけた。トランプだ。

ガラスケースに一部広げられて売られているトランプの絵柄は、スペードのキングがル・コルビジェ。クローバーのクイーンがザハ・ハディド。ダイヤのジャックがエーロ・サーリネンまでは見える。

J・G・Kの絵柄は全て建築家であり、数字のトランプは様々な建築が描かれていた。

「買おう」俺はそう思った。

そしてこの旅のトランプ(ババ抜き)は今後このトランプを使うのだ。

ただ、ババ抜きのするには気になることが1つある。

「ジョーカーって誰だと思う?」みんなに聞いてみた。

「さすがにミースなんじゃない?ここに売られてるんだし」

田畑が答える。

「ガウディとか?」

「いや、ガウディはダイヤのキングで見えてる」

「意外な人なのかな?」

「グロピウスとかは?」

「あー、ありえる」

ジョーカーを当てるクイズは少しだけ盛り上がった。

そしていざ購入し、バルセロナ・パビリオンの正面にある広場に行き、その場ですぐに開封した。

ジョーカーは誰?・・・・・・

ビニールを引き剥がし、プラスチックの蓋を開けて、おそらくジョーカーがあるであろう後ろから1番上の1枚をめくった。

ジョーカーは、【チャールズ皇太子】だった。

「建築家じゃないのかよ」

さすがの変化球に俺らは爆笑した。

そして、それから俺らのババ抜きは、「チャールズ」というゲームになった。

卒業旅行記_04【バルセロナ-日本の女性は世界一-】

朝7時に目が覚めた。

ソファのベッドは、間が2つに分かれるタイプだったので、意外と寝にくかった。バルコニーに出て、煙草に火をつける。1本吸い終わったところでみんなも起きてきた。

今日は念願のサグラダ・ファミリアに行く予定だ。

ホテル内で簡単な朝ご飯を食べ、9時前には歩いて5分程度のサグラダファミリアに向かう。チケット購入場所は長蛇の列だった。今日は日曜日だ。

サグラダ・ファミリアとは、スペインの建築家であるアントニオ・ガウディの未だに完成していない教会建築である。

バルセロナ市のシンボルであるこの建築は、綿密に構成された象徴的で類を見ない形状を持つ。放物線状の構造アーチや、鐘楼に据えられた自然主義と抽象主義の混在する彫刻等で構成されており、他にはない建築様式でもある。

今や、サグラダ・ファミリアアルハンブラ宮殿マドリッドプラド美術館を抜いてスペインで最も観光客を集めた建物となっており、言わずもがなスペイン1のモニュメントとして存在している。更には2005年には、設計者であるガウディが生前携わったグエル公園やグエル邸、カサ・ミラなどと合わせて、「アントニオ・ガウディの作品群」として、ユネスコ世界遺産に登録されているから尚更だ。

誰もが一度は行って見たいと思うのでないだろうか。もちろん私たちもそう思っていた。

しかし最近までは完成に150年以上かかるとも噂されていた。しかし、ここに来て、完成予想が2026年と発表されたのだ。

こんなに早く完成することになったのには2つの理由がある。

1つ目は、資金問題の解決であると言われている。1990年代以降に拝観料収入が増えたことにより、資金状況が好転したことで完成への道しるべが見つかったのだ。

2つ目は、近年のIT技術を駆使することで、建設期間が大幅に縮まったと言われている。コンピュータのない時代には、手作業である模型による模造実験を経て形状を再現しつつ建設に取り掛かっていたが。今では3Dプリンターやコンピュータによる設計技術が進んだことで、進捗はかなりスムーズになったと言われているのだ。

これは未完成前に行かなければと思い、卒業旅行を王道のスペインにしたといっても過言ではない。

1時間ほど並んでチケットを買うと、「受難の門」から中へと入った。

サグラダ・ファミリアには、2つの門がある。

一つは日本人彫刻家である外尾悦郎が一部を手掛けた「生誕の門」である。緻密な彫刻の中には、海と山に囲まれているバルセロナを象徴するようにウミガメとリクガメのデザインが柱に施されている。

もう一つは、当日券を購入した者が出入りする「受難の門」である。こちらはキリストの死から復活までのストーリーが施されているそうだ。

サグラダファミリアで午前中いっぱいを使ったあとは、近辺のレストランでパエリアを食べた。本場のパエリアは少し不思議な味がした。

その後グエル公園へと向かうためにタクシーを探した。

5人乗りのタクシーはなかなか見つからない。

10分程待つと、50m先で停車中のワゴンタクシーを見つけた。

近寄ると運転手に目が行く。

少し強面。ドレッドヘアーの黒人だった。こういうのはあまり言いたくないのだが、少し怖い。

折角見つけたタクシーだったが、ビビリの俺らは、「あのタクシーはやめよう」と話した。

しかし、気付いた時には、気にも留めない海くんが運転手に話しかけていた。すんなりと乗車することを決めてきた。

そうであれば仕方がない。

覚悟を決めて、グエル公園までとお願いする。バルセロナは英語が通じるのでありがたい。

乗車して見てわかったが、とても気さくな運転手だった。先ほどまでの感情など忘れていた。

「どこから来たの?」もちろん英語で訪ねてきた。

「日本だよ」と答える。

すると、笑顔でその運転手は言った。

「Japanese girls are very cute.」

突然のカミングアウトに驚いたが、機転を利かせた友弘が答える。

「of course. Top of the world.」

予想外だったのだろうか。ケラケラと笑いだして止まらない。

英語は合っているのか当時はわからない。ただ確かに伝わったのだ。

「日本の女性が世界一可愛い」というのは、どうやら万国共通らしい。

グエル公園を一通り見学した後は、カンプノウに向かい、カサミラまで行く予定だった。

グエル公園前のお土産屋さんの前で、再びタクシーを探す。

今度はすぐに見つかった。ちょうど目の前で5人乗りのタクシーが止まったのだ。

皆で揃ってタクシーを引き止め、乗車する。「ラッキー」と言って運転席を見た。

すると、、、さっきの運転手だった。

笑いながらこう言ってきた。

「 Top of the world‼︎」

俺らのグループ名が「世界一」になった。